
いよいよ黒米の脱穀で、お米作りも今期最後の活動となります。
今日は萩原副塾長の挨拶のあと、スタッフの高鳥さんから脱穀についての説明がありました。
脱穀とは、稲刈りしてハズで乾燥させた稲穂から籾を取る作業のことを言います。

稲作は3万年前の石器時代から行われ、静岡の登呂遺跡で発見された弥生水田からも分かるように弥生時代には日本中で稲作が行われるようになっていたようです。木で簡単な農具も作られたようですが、籾まきから収穫まで手で行われ、脱穀も稲穂から手で籾を取っていました。江戸時代頃には竹で作った扱き箸がつかわれるようになり、

竹の隙間に稲穂をはさんで扱いて籾を取るようになりました。300年前の元禄時代に、竹の歯を付けた千歯扱ぎと言う道具が作られました。歯の隙間に稲穂を挟んで引き抜くと籾が落ちる仕組みです。竹の千歯扱ぎは未来塾にもスタッフが作ってくれたものがあります。後に歯が鉄製になり、作業効率を上げる工夫がされ200年もの期間に渡り使われたそうです。

大正時代になると足踏み式の脱穀機が作られます。直径50センチくらいの扱ぎ胴にU字状の針金の歯を付け、扱ぎ胴を回して針金の歯に穂先を当て引っかけて籾を取ります。自転車の車輪に稲穂が当たり籾が落ちたのをヒントに回転式脱穀機を作られました。

石油発動機になり動力は進化しましたが、針金の歯に籾をひっかける仕組みは変わりません。未来塾の脱穀機を開けて歯を見せてもらいました。
ハズから稲を運び、脱穀機で脱穀し、藁に残った籾を探す作業をしていきました。


千歯扱ぎで脱穀をチャレンジしている子たちもいましたが、歯に引っかけた穂を引き抜くのが難しいようでした。足踏み脱穀機は千歯扱ぎの5~6倍、動力脱穀機は15倍くらい作業スピードが速いそうです。動力脱穀機を使ってあっと言う間に脱穀できても、藁の中に籾が残ってしまいます。


未来塾でも最後は人の手を使って一粒の籾も無駄にしないように集めていきます。今日の作業は黒米だけだったので、お昼前にハズに掛けた稲の脱穀は全て終わりました。


午後からは足踏み脱穀機を使って種籾の脱穀を予定していましたが、塾生の皆さんはお昼を食べずに帰ってしまいました。田んぼの近くに棲みついているのか、最近よく田んぼで見かける白鷺が様子を見に来てくれました。人が危害を加えないのをわかっているようで、近づいても

逃げずに田んぼの見回りをしていました。
スタッフが種籾の脱穀しし始めた時に、塾生のYさん親子が来てくれました。ちょうどその頃エアーフェスタの予行演習も始まり、耳を塞ぎたくなるくらいの迫力ある爆音を轟かせて機動飛行する中、Hちゃんに脱穀を頑張ってもらいました。度々、真上を飛ぶ飛行機を眺めながらも種籾の脱穀を終えることができました。

種籾は来年の籾まきまで大切に保管しておきます。収穫したお米は収穫祭でお餅にしたり、塾生の皆さんへも配布しますので、楽しみにしていてください。